031念仏の息たえましましおわりぬ

渡邉浩昌

弘長2(1262)年11月28日、親鸞聖人は90年の生涯を終えられます。その時の様子が『御伝鈔(ごでんしょう)』に伝えられております。

仲冬(ちゅうとう)下旬の候より、いささか不例(ふれい)の気まします。自爾以来(それよりこのかた)、口に世事(せじ)をまじえず、ただ仏恩(ぶつとん)のふかきことをのぶ。声に余言(よごん)をあらわさず、もっぱら称名(しょうみょう)たゆることなし。しこうして、同(おなじき)第八日午時(うまのとき)、頭北面西右脇(ずほくめんさいうきょう)に臥(ふ)し給(たま)いて、ついに念仏の息たえましましおわりぬ。時に、頽齢(たいれい)九旬に満ちたまう。(真宗聖典736頁)

時代とともに生き、自らに課せられた使命を果たし尽くし、後は全て自己の思いを超えた世界に任せ切られた親鸞聖人を窺い知ることができます。

この言葉から思い起こされるのは『歎異抄』九章です。

なごりおしくおもえども、娑婆(しゃば)の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土(ど)へはまいるべきなり。(真宗聖典630頁)

賜った境遇を自己の世界として生き切ったがゆえに、力なくして終える時「かの土」へ自分を任せ切ることができる。正に『御伝鈔』で語られる「念仏の息たえましましおわわりぬ」です。

大正5(1916)年、胃潰瘍により49歳で生涯を終えた夏目漱石は、死ぬ1カ月前に、「則天去私」という言葉を使っています。「則天去私」とは「普通自分自分という所謂小我の私を去って、もっと大きな謂わば普遍的な大我の命ずるままに自分を任せる」という意味だそうです。「小我」の自分を尽くし切って、始めて「普遍的な大我の命ずるままに」無条件に自分を任せることができる、ということではないかと思われます。

報恩講の時期を迎えて、そう長くはないであろう自分の人生を思う時、『御伝鈔』にあります親鸞聖人のご入滅を思わずにはおれません。

参考 松岡譲『漱石先生』(岩波書店) 今村仁司『親鸞と学的精神』(岩波書店)