021迷宮入り

伊東幸典

最近感じた楽しい迷いと苦痛の迷いの話をします。

楽しい方は、旅行の企画をするため、浮き浮きした気分でパンフレットや雑誌を見ながら「どこへ行こうか」と迷ったこと。苦痛の方は、親として住職として等の責任を果たすために迷っていること。こちらはなかなか出口が見えず、連鎖してますます複雑になってきています。しかし、苦痛の迷いもいずれは時間が解決し消滅していくことでしょう。だからといって、安穏と構えておればよい訳はなく、迷いながら方向性を求めなければなりません。

さて、「迷う」という漢字の「米」は、四方八方を表し、「道が四方八方に伸びて迷う」というのがこの漢字の成り立ちだという説があります。四方とは東・西・南・北、八方とは北西・北東・南東・南西を加えた方位のことで、これで全ての方向という意味になります。

これと同じような意味の語が『仏説阿弥陀経』の中に出てきます。「六方」という語で、四方に上と下を加えた六つの方位で、全ての世界を表しています。平面的な四方に立体的な上下が加わると、四方八方に伸びた道のあちこちに無数の上下の階段が伸びて、ますます世界が広がっていくような気がしませんか。

最後にもう一つ、いつ頃から始まったのかよく分からない迷いが私にはあります。それは「仏法を聞く」ということです。仏法を学ぶと、私の傲慢さが次々に言い当てられ、逃げ出したくなります。それなのに「なぜ仏法を学んでいるのだろう」「何を求めて聞いているのだろう」と。この迷いは、仏法を学ぶことができなくなるまで続く迷いだと思っています。