011私はどこに行こうとしているのか

米澤陽子

東日本大震災の影響で、真宗本廟では3月中の宗祖親鸞聖人御遠忌法要が中止となり、「被災者支援のつどい」が執り行われました。私は参拝を予定されていたご門徒のみなさんと共にお参りさせていただきました。

宗務総長は、ご挨拶の中で原子力発電所の深刻な事態について、「このような凄惨な事故を生み出す原子力発電所に頼る生活を営んでおりますのは、ほかならない私たちであります。改めて、一人一人が原子力に依存する現代生活の方向というものを考え直さなければなりません。進歩発展を疑ってもみない私たちの日頃の心の無明性を厳しく教えてくださるものは、如来のはたらきにおいてほかにございません」と述べられました。

思えば上山する途中に立ち寄ったサービスエリアで入ったトイレの便座が冷たくてムッとするような私です。家が明るく、部屋が暖かく便座までもが温かいのは原子力のおかげだと深く考えることもなく、便利で快適な生活という幻想を追っていたのです。便利で快適だと感じることしか求めず、その根本にある原発の危険性については見ようともしていなかったのです。次から次へと登場する「便利」「快適」のイメージに追われるばかりで、何のために便利で快適な生活を求めているのかということを考えたことがありませんでした。

御遠忌法要についても、それが何のために勤められるのかもよく考えず、「50年に一度のお祭り」のようにしか受け取っていなかった私ではなかったでしょうか。御遠忌を賑やかで華々しい行事としか考えておらず、御遠忌に遇うことの意味も問わずにいたことを、この度の「被災者支援のつどい」に参加して初めて教えられたような気がします。

「現代生活の方向性」なんて問題にすらしていなかった私。この「つどい」でいただいた「私の生活がどこに向かっているのか」、そして「私はどこに行こうとしているのか」ということをこれからのテーマとしていきたいと思います。