035お爺ちゃんのベッド、私がもらう

山口晃生

近年、人生の最期を病院のベッドの上で迎える人が増えてまいりました。母も20年前病院で亡くなり、10歳年上の父が残されましたが、仕事人間の父はすべて母任せ、下着の場所も分からない人でしたので、その落胆たるや気の毒な程で、あまりにも気落ちしたのか3年ぐらい経った時、認知症になり、しかも癌を併発、家族介護が必要になりました。夜中に動き回るのか、汚い話ですが、朝起きると、布団はもちろん、部屋中、大小便で汚れており、その始末が一日の始まりになりました。看病で本業もままならず、妻と言い争いになることも多々あり、愚痴と喧嘩の絶えない日々が半年ほど続きましたが、やがて父は入院しました。

付き添っている私を自分の息子とも知らずに、生まれ育った家の大きなアオギリの前で遊んだ昔のこと、正月や法要で親戚が揃うと決まってそこで記念写真を撮ったことなどを懐かしそうに話す父。黙って頷きながら聞いていますと、満足そうに微笑みますので、ああ、あの厳しかった父はどこへ行ってしまったのかと、逆に悲しくなることもありました。

治る見込みのない入院に、「ここで死を迎えるのではなく、たとえ寿命は縮まっても、家の畳の上で死なせてやりたい」と先生に相談し、家庭介護の許可をいただきました。冬でしたので、日当たりのいい部屋にベッドを入れ看病することになったのですが、病院と違い、食事から下の世話、身体の洗浄等の全てを家族でしなければなりません。しかし、以前と違い、苦労を苦労と感じず、愚痴も出ませんでした。やって当たり前と、昼夜を問わず看病していると、仕事から帰った息子と当時高校生の娘も自然に手伝い、まさに家族総出の看病になりました。しかし、薬石功無く木が枯れるように父はお浄土へ還っていきましたが、悲しさは無く、むしろ最期まで精一杯看病できたこと、付き添えたことの満足感で一杯でした。

葬儀も済み、さて遺品をどうするかとなった時、そんな死んだ人の物は捨ててしまえばとの多くの意見の中、娘が「お爺ちゃんのベッドもらう」と名乗りを挙げました。そこに死とは不浄なもの、穢れたものとの意識は無く、家族みんなで癌と戦った父の看病を心置きなくできた結果だと、身近な人の死を通して学ばせていただきました。南無阿弥陀仏。