028夏休みのお勤めの会

檉とし子

今年も「夏休みのお勤めの会」を迎えることができました。19年前、自坊がラジオ体操の会場になったことをきっかけに始まり、一時期は20人以上の子どもたちが集まりました。しかし、最近は子どもの数もずっと少なくなり、果たして今年は何人くらいになるだろうかと心配しておりました。

ラジオ体操初日、体操を終えた子どもたちは次々と本堂に上がり、14名もの参加となりました。毎年恒例としているのは、「正信偈」120句840文字を皆で書き上げることです。声明本に番号を付け、ご門徒の印刷屋さんからいただいた短冊の紙にも番号をうち、その番号の文字を筆ペンで書いていくという方法です。

初日から子どもたちは書く気満々、平仮名もありますが、難しい昔の漢字を戸惑いながらも、真剣に書く子どももいます。今年もボード一面に貼った「正信偈」が出来上がりました。

このようにして毎年行っている行事に、私は一つの淋しさをずっと抱えていました。こんなに頑張っているのに、どうして家の人から感謝の言葉が聞こえてこないのだろうか。その思いがずっと毎年湧いてきていました。

昨年このことを研修会の座談会で話しました。「これだけ一生懸命やっているのに、お礼の一言でもあっても良いのではないか」と。

それに対して、ある方が「子どもさんを迎えに行くくらいの気持ちでいないとだめ」とおっしゃいました。「何でそこまで」という思いで一杯になりました。その方の言われたことがずっと引っ掛かっていました。

ところが、今年本堂に上がってきてくれた子どもの姿を見た時、「よう上がってきてくれたね」という思いがフッと湧いてきました。「ありがとう、ありがとう」と、こちらは何の力もない、来てくれている子どもたちが主役だと自然に思えてきました。お兄ちゃんをお迎えに来た母親に抱かれた1歳の子どもに、「来年はお兄ちゃんと一緒に来てね」と言うと、意味が分かっているかのように、「ウン、ウン」と頷いていました。その姿を見ていると、また来年も続けたいと嬉しくなりました。

研修会で、私の醜い心をさらけ出さなかったなら、こだわりの心が見えてこないところでした。