019願い

加藤淳

今年の1月に、あるご門徒さんの家に報恩講に出かけました。するとその家のお婆さんの姿がなかったので、「お婆さんはどうしたのですか」と尋ねたら、納戸で休んでいますとの返事が返ってきました。

報恩講のお参りも終わり、「お婆さんにお会いさせていただけませんか」とその家族の方にお話をしましたら、「どうぞ」と納戸に通してもらいました。お婆さんはベッドで休んでおられましたが、私の顔を見て、「今日はお参りに来ていただいてありがとうございました」とお礼を言われました。その後引き続いて、「もう死ぬかもしれない」と言われましたが、盛願寺の本堂が修復中ということもあってか、「お寺が完成するまでは生きていたい」との言葉をいただいたことにたいへん驚きました。

その言葉を受けて、「来年の10月には落慶法要が勤まりますので、ぜひお参りをしていただきたい」とお話をすると、「もうその頃には歩けなくなっていると思います」との返事が返ってきました。それで、「車椅子でも結構ですからよろしくお願いします」と申し上げますと、その言葉に頷いていただきました。その会話は3分くらいの短い時間ではありましたが、たいへん胸を打たれました。

それから3日後の夜中にそのお婆さんの家から電話がかかってきまして、「今、婆さんが亡くなりましたから、枕経をよろしくお願いいたします」との連絡を受けました。私は今まで死ぬくらい病んだ経験をしたことはありませんので、どれだけ苦しいのかよく分かりません。しかし、亡くなる寸前にまでなってお寺の修復の心配をしていただいているとは思いませんでした。私なら見舞いに来てもらった人に、「あなたは健康でいいですね」とか「何でも食べることができていいですね」とか、人のことを羨んでみたり、妬んでみたりするのかなと照らし出されたようでした。そのご門徒さんとお話をさせていただき、人間はいかなる時もいろいろな人から願い、願われている存在だと改めて感じることでありました。