010「突然…」 

土岐尚子

それは、義母が大腿骨を骨折して入院したことから始まりました。次男が「見舞いに行くよ」と言ったので、一緒に病院に行きました。病室に入ると、義母は次男の顔を見て住職の甥の名前を言ったので「違うよ。この子の名前はなんやった」と聞くと、次に長男の名前を言い、なかなか次男の名前を思い出せません。私自身そのことがショックで、すぐに次男をフォローできませんでした。

帰り道、次男に「今は病院の白い壁ばかり見ているからあなたの名前を思い出せなかっただけで、家に帰ったらそんなことはないと思うけどね」と言って慰めました。

それから1ヶ月ほどして義母が退院しました。家に帰れば入院前の生活にすぐに戻れると思っていた私にとって、義母の行動は違ったものでした。水道の水は流したまま、冷蔵庫のドアは開けたままなど、入院前にはしなかったことばかりです。

友人に相談すると「ちょっと認知症が始まったんじゃない」と言いながら介護について説明をしてくれました。それから私の介護生活が始まりました。

今は週に1回のデイサービスや、たまにショートステイを利用しています。その時以外の義母の面倒はほとんど私にかかってきました。そのため、義母の行動や言葉が私を追いこんでいるように思えてなりません。そして私が注意すると「どうせ私が何もかも悪いんやで、ほっといてんか」の一言で片づけられ、何を言っても聞く耳を持とうとしません。私はどうしていいのかわからず試行錯誤しながら日々を過ごしていました。

ある日、本を読んでいると「あるがままを受け入れ、現実の偽りのない自分に帰ることが必要だ」の一文が目にとまりました。分かっていてもなかなかそうはいきません。

そこで、私は末代無智の『御文』に、

さらに余のかたへこころをふらず、一心一向に、仏たすけたまえ(真宗聖典832頁)

の言葉を思い出し、むなしく愚痴の世界に迷っていた私は「そのままの私」に帰ることができました。それによって私の人生に生き甲斐をもった道が開けてきたような気がします。