007開かずの扉 

藤﨑信

半年くらい前になりますが、一歳半になる息子が、ローボードの扉を開けては中の物を散らかすことが何度かありました。中には薬も入っていたので危険と思い、簡易ロックを取り付け、簡単には開かないようにしました。するとどうでしょうか。息子は開かないことが分かると興味を無くし、他の物を探すようになりました。ところが、私はローボードを開けることが面倒になり、自業自得と言いましょうか、今では開かずの扉となってしまいました。

その時の自分は自己中心的な物の考え方しかできないものと感じました。扉の中を荒らされないで済むという思いが簡易ロックで解消されたのだから、有難いと思っていたのに、いざ自分が開けようとする時には不便だと、また欲が生じてしましまいます。欲は欲を生み、さらなる欲へと発展していくのでしょう。

息子からすれば成長の過程で、親のすることを見て真似て学習しているだけなのに、さもすれば怒りの矛先は息子へと向いている浅ましい自分がいるのです。こうした自分本位の考えでいると、私の失敗は他人や環境のせい、成功は私の努力と思い込みがちです。

仏の教えとは、例えて言えば太陽の光のようでしょうか。分け隔てなく老若男女すべての人を照らします。善い行いをしたからあの人には照らす時間を多くしようとか、悪い行いをしたから照らす時間を少なくしようということはありません。まさしく一切平等です。仏の教えも日常生活において、みな等しく出会いの場所・場面があるのでしょう。今回のことで息子からそのような自己中心的な私であったことに気づかされたのです。