002大悲に懐かれて 

梛野芳徳

私の住んでいるところは志摩市の沿岸部で、いわゆる高齢化が進み、将来的にはより一層過疎化が進行していくと思われる地域です。住んでいる人の多くは、半農半漁で素朴な生活を営み、年老いた親を抱え、介護の問題に直面している人も少なくありません。そんな中で生活していると、時々、

「うちのバアさん、もう早く逝ってくれんかなあ」

という声を聞くことがあります。「バアさん」とはこの地方では母親のことを言います。介護という問題に直面したとき、自分の親に対してまでも死を願うということに嫌気がさすというか、うんざりすることがあります。

私も妻も三男と二女ということで、遠く親元を離れていることもあり、また、まだまだ親も老後というような歳ではなく、介護のことなど真剣に考えていないのが現実です。それどころか、年老いた親を抱えて「早く死んでくれたら」と思ってしまう人を蚊帳の外から冷やかに軽蔑しているのが私の事実です。

そんなとき、とある本にこのような言葉を見つけました。

あなたがいつの日か

「生まれてよかった」と思ってくれれば

私は幸せ

文面から想像するに、母親がその子どもにかけた言葉のように思います。私たちはみな、自分の親ですら、いざとなったら「早く逝ってくれんかなあ」と思ってしまうようなものをお互いにもって生きております。そんな私たちに対して、「どんなにたいへんなことがあっても生まれてよかったといえるようなものになってね」と願い、そのことひとつを自身の本当の幸せと見据えておられます。この大きなこころに触れてはじめて、薄情で非人間的な私を許してくれていたのだなあ、許されておったのだなあと気づかされます。

この言葉は具体的な親子の関係に現れ出た、大いなるほとけさまの慈悲の心、如来大悲の御こころと拝受いたしております。