032報恩講‐御流罪の地で考えたこと‐ 

花山孝介

先日、ご門徒と一緒に新潟上越にある親鸞聖人のご旧跡を訪ねました。幾つかの寺院を回り、最後に夕日が美しいということで上陸の地「居多ヶ浜」に行ったのですが、その場所に立ちながら、この地が聖人にとってどのような意味をもつのか考えさせられました。

聖人は、法然上人との出遇いを通して「ただ念仏」の教えに生きた方です。その聖人が何故流罪という刑を受け、この地に来なければならなかったのでしょうか。時の有力者に嘆願して実刑を免れることもできたかもしれませんが、史実は法然上人と共に刑に服されました。しかしその態度は、刑に服しながらもその刑の不法性を生涯叫び続けられる歩みでした。それは、聖人自身、念仏の教えにより公(おおやけ)を生きる者としての境地を得ていたからだと思われます。そのことは、自身の個人的な事柄を記されなかったことに明白です。

さらに「非僧非俗(ひそうひぞく)」を生きる者としての性(しょう)を「禿(とく)」と表明し、法然上人との死別を通して、やがてその師教を明らかにしていく者としての「親鸞」の名告(なの)りを感得し展開されたのがまさにこの地ではなかったのか。それはまるで、比叡山時代やそれまでの生活の中身が総括されると共に、師亡き後の仏弟子の責任を生きる身の決定がなされた場所であったと思われてなりませんでした。

今年は、奇しくも御流罪八百年の年です。無実の罪を受けられた弾圧の痛みの意味を問わないままで、年中行事のひとつとして「報恩講」を勤めるとしたら、その法要を勤める意味は一体私にとって何なのか、改めて考えさせられました。