025「正しい答え」という凶器

山田有維
 人から悩みや苦しみを打ち明けられたら、どのような回答をしようと思いますか。
 私は大学生の頃、友人から持ちかけられた相談に「一般的に正しいこと」を言って答えました。私は私なりに友人に向かい合って、一生懸命考えた答えでした。しかし、友人からは「あんたの言っていることは正しい答えやと思う。自分もそれが正しいことくらい分かっている。でもな、それが正しいと分かっててもそうできん自分がいる。そうできん自分にイライラしたり絶望したり焦ったりする。それを少しでもええから分かって欲しい。共感して欲しいと願う。でも、あんたには私のそういう苦しみや痛みは分かってもらえんのや…」と言う言葉が返ってきました。
 最近、私は今自分が抱えている問題に押し潰されそうになり、友人に相談しました。すると「正しい答え」が返ってきました。その時、私は「そんなことやない。なんで分かってくれへんのや」と思いました。悔しさと悲しさと虚しさで心が張り裂けそうになりました。「正しい答え」がとてつもなく重く冷たく尖ったものに感じられました。私は「正しい答え」という凶器を振り回してきました。一生懸命相談に乗っていたつもりが、実は凶器を友人に突きつけてきたことに気づかせていただきました。
 私たちは頭では分かっていても、どうしても心が納得しないことがあります。「正しい答え」と「そうなれない自分」の間で苦しむことがあります。こんな時「正しい答え」は苦しんでいる人をさらに傷つけてしまうこともあります。「正しい答え」ではなく、人の温もり、安心や共感を必要としているのです。
 目の前の人が今何を悩み、何を求めているのかを理解することは、決して容易ではありませんが、少なくとも悩み苦しんでいる人の気持ちに真摯に寄り添うことができたらと思います。