022子ども奉仕団に関わって思う「こども」

藤岡恵子

昨年から本山で行われる『子ども奉仕団』にスタッフとして参加しています。今年も参加するわけですが、その関わりの中で少し思うことをお話させていただきます。

暑い夏休みの最中に全国から参加を募って行われる恒例の奉仕団です。「今の子ども像」に興味がありスタッフとして関わっています。スタッフの中では平均年齢を上げているわけですが、若者の考え方など、自分が若かった頃との比較ができたりして、楽しみながら日々を過しています。

さて、昔の子どもとの違いというと「選択肢の多少の違い」ではないでしょうか?昔は情報というものは自分で見つけないと自分のものにならなかったのに比べ、今は、TVにPCの普及に伴い向こうから情報がやってくる時代です。はたして、このような現象に今の子どもたちは対応できているのでしょうか?疑問ですね。

向こうからやってくる情報に疑問を抱くことのできる子どもは考える力が身につくでしょう。そうでない子どもは善いことも悪いこともそのまま受け入れてしまうことになるでしょう。

子どもたちと二泊三泊一緒に生活していると、個々の家庭でのしつけや学校で先生から習ったことなどが子どもを通して見えてくることもあります。例えば、トイレのスリッパの向きとか、食事中のマナーとかに自然に現われるのです。しかし、子ども同士の会話や生活しているうちに子どもたちの目が輝いてくる何かが生まれるのを実感できるのです。

子どもに限らず、何処に行っても、できが善いとか悪いとか比較されながら生きていくわけです。

子どもと接する中で何を注意しないといけないかというと「劣等感をもたせないこと」だと考えます。「自分は馬鹿だから」と思うようになると自分から積極的に勉強や友だち作りをするということが、自然に無くなるということになりましょう。

大人の言動や行動はもちろんですが、子どもに対する教育がいかに大切かということになります。大人が「善し」と思ってしまっていることが、本当は善くないことでも子どもは大人がしているから善いことで、しても善いのだと判断してしまいます。

このような子どもにとって暮らしにくい世の中ではありますが、この本山で行われる子ども奉仕団において「ほとけの子としていきる」ということが、少しでも子どもたち一人一人の心の中で芽生えてくれることを願いながら、今年の夏も完全燃焼したいと意気込んでいます。