005不安の上に立つ

佐々木智教

今年の神社仏閣への初詣が、過去最高の人手を記録したと年頭のニュースで報じられました。ところが、自坊では年始のお参りにみえる同行の方が年々減ってきておりまして、一体どうしたことかと家族でしんみりと話し合ったことでした。

この神社仏閣の繁盛ぶりは、除災招福の考え方からきているのであろうと思います。即ち、健康で長生きして豊かな生活。皆がこぞってお参りするのは、私たちが思い描くそんな幸せへの欲求を満たしてくれそうな場所だからでしょう。しかし、同時にこの底知れない私たちの欲望追求の生活が、現在の様々な問題を生み出すことにつながっているのです。環境を壊し、人間の身と心を壊し、人と人との関係性も破壊するそんな世相の中、言いようのない不安に苛(さいな)まれている私たちなのではないでしょうか。

その不安の中にあって、これでよいのかと感じつつも、とりあえず誰かの責任にしておかなければ落ち着かない、というような風潮が世の中に蔓延している気がしてなりません。

安田理深という方は次のように述べられています。「本願の智慧が〈不安>という形で人間にきているんです。不安が如来なんです」このお言葉が、教えを必要とせず欲を満たそうとするばかりの私の宗教心に響くかどうか。その一点が、不安の上に一瞬たりとも立てない私の課題となってまいります。