021あるがままということ

藤井信

毎日新聞社が発行した『日本のスイッチ』という本をパラパラとめくってみました。「見えない日本が見えてくる」と書かれたその本は、多くの人が携帯電話などを用いて、様々な質問に対して二者択一で回答した結果が載っています。例えば「お盆にお墓参りは」に対して「します」「しません」というように。ちなみにその質問に対しては「します」が49%で「しません」が51%でした。多くの人はそう考えるのか、なるほどなあと感じながら、私の答えが少数意見であることも多々ありました。別にそれならそれでいいのでしょうが、たまに多数意見に鞍替えしたことがありました。やはり多数意見に身を寄せた方が何となく心が落ち着くということでしょうか。

私たちは他人からよく思われたい、悪く思われたくないという心をもっています。この心があるがままの自分でいるよりも、自分が他人からどう評価されているか、軽蔑されてはいないかといつもびくびくさせるのでしょう。

また、あるがままを受け入れない心は他人にも向けられます。もう亡くなられましたが、いつも朗らかで陽気なおばあさんがみえました。お参りに伺うと、いつも楽しくお話をしていましたが、自分のお家が傷んできたので建て直しをされてから、急にいつもの元気がなくなりました。「何をするにも気力がない」と言うのです。私は家を建て直すという大変な仕事をされたので、疲れが出たのだろうと思っていました。しかし、何ヶ月経っても同じことを言われるので、「あまりそんなことばかり言わないで、気力を出さないといけませんよ」と言ってしまいました。

結局、お身体が重い病気に冒されていたことが原因であったのに、私はそのことが分からなかったのです。更に私は元気のないおばあさんを受け入れず、元気なおばあさんばかりを求めていたのです。

私たちは自分に都合のいい思いばかりを大事にして、事実を事実として受け取ることができないでいるのではないでしょうか。自分を本当の自分以上に勘違いしたりして、あるがままを受け取れないから苦しむのでしょう。しかし、あるがままを受け入れることは自分の力では容易なことではありません。鏡に譬えられる教えに謙虚に聞いていくところに、そのような私の本性が知らされてくることを今更ながら感じさせられました。