018過ち

折戸芳章

「過ちを改めざる、それを過ちと謂う」ということわざがあります。まさに年金未払いで知らん顔をしている国会の先生方に送りたい言葉です。しかし、私たちの日常生活の中でも自分の行動や発言によって、人に迷惑をかけたり嫌な思いをさせていても、そのことに気づかずにいることがあります。私の心の中に流れている「絶対に私が正しい」と決めつけてしまっている思い、そして、その思いは真の事実を突きつけられても改めようともせずにいます。そのことこそが一番の過ちでありましょう。

親鸞聖人は、そういう心の存在を我が身の上に顕(あきら)かにされたからこそ、自らを愚禿(愚かな私)と名告(なの)られたのでしょう。

人は誰でも過ちを犯してしまいますし、過ちを犯さない人なんて何処にもおりません。大切なのは、過ちに気づかされた時に素直に認める心でしょう。

『蓮如上人(れんにょしょうにん)御一代記(ごいちだいき)聞書(ききがき)』に「たとい、なき事なりとも、人、申し候(そうら)わば、当座に領掌(りょうじょう)すべし。当座に詞(ことば)を返せば、ふたたびいわざるなり」(真宗聖典877頁)と教えてくださっているように、人が私に注意してくれたら、たとえそうでなくても素直に聞き入れることだ。もし「私は間違っていない」と反論すれば、その人は二度と注意はしてくれないでしょう。

私に注意をし、叱ってくださる人がいるということは、本当にありがたいことです。