021いのちを感じる

松下至道

朝やけ小やけだ 大漁だ。
大ばいわしの 大漁だ。
はまは祭りの ようだけど
海の中では 何万の
いわしのとむらい するだろう
「大漁」と銘うたれた、童謡詩人金子みすずさんの詩です。ご存知の方も多いでしょう。
大漁と喜ぶ人々の見えないところで、魚たちは弔いを出して悲しんでいる。
私たちのいのちを育むために、他のいのちがその犠牲となってくれているという現実を詩にしてくださっています。いのちに対する深いやさしさ、悲しみの眼を感じます。

私は毎日、多くの動物や植物をいただいています。その中でうまい、まずいを言い、食べ残すこともたびたびあります。私のいのちの糧となる為に料理される肉や魚・野菜に対して私は、金子さんのような眼で見たことはなかったなぁと思いました。

私のいのちは、他のいのちの上にしか成り立たないものです。自分の思いなど関係ないいのちが抱える現実なのです。「私のいのちなんだから私がどうしようと勝手」「私の思い通りにする為には他人のいのちを奪ってもかまわない、仕方がない」最近のテレビニュースを見ていると、そういう思いが画面から見えてきます。

しかし、いのちは私の思いの中にあるものではありません。思いを超えて私を生かしてくれているものが、いのちなのだと思います。他のいのちの上にしか成り立たぬ私のいのち。そこには大きな悲しみがあるのではないでしょうか。仏教では、仏さまの私見てくださる眼を「大悲」といいます。そこにはいのちのもつ大きな悲しみがあります。仏さまは、私のいのちとなって、生きとし生きるものとなって、私に対して「いのちの悲しみに触れ、そのいのちを感じて生きて欲しい」と、そういう願いを念仏となって叫び続けてくださっているのではないでしょうか。

人間が本当に自分や他人を大切にするためにはそういういのちの悲しみを感じ、念仏となって出てきてくださる仏さまの願いを聞き続けていくことが大切なのではないかと思います。

020病から教わったこと

海老原章

ちょうど1ヶ月程前のことです。朝起きてみると、自分の右肩が痛く、時間が経過するにつれてその痛みが段々ひどくなり、日常生活をすることもままならなくなってきました。
翌日、その痛みに耐えがたく、整形外科の先生に診察してもらった所、結果は「肩の関節に石灰がたまり、それが原因で炎症を起こしている」ということでした。その場は、その関節にたまった石灰を溶かす注射を打ってもらい、痛み止めの薬をもらって帰宅しました。

その後、注射と痛め止めの薬の効果もあってか、痛みは徐々に消え、日を重ねるごとに右肩の調子もよくなっていきました。

病にかかっていた時は、私自身、その痛みや身体の不自由さを受け入れることができず、早く元に戻して欲しいと思うばかりでした。今にして思えば「早く元に戻して欲しい」という思いは、実は今まで何の不自由さも感じず、身体のどこかに痛みもなく、自分自身の思うように身体を動かせることが、何の疑いもなく当然のこと、当たり前のこととして考えていたということであったように思います。

その当たり前のこと、当然のことのように思っていた「自分の思いや計らい」とい自己主張を、これまで幾度となく繰り返してきたような気がしています。しかし、それがかえって自分自身というものを苦しめてきたのではないだろうかと思えてなりません。

この私に降りかかった突然の病によって、少しだけ「我が身」が照らし出されたような気がします。しかし、現在の私は、その時の痛みや身体の不自由さも忘れ、毎日を惰性のように無駄に過ごしているような気がしています。

019香

藤井恵麿

私は、お線香に限らず、煙とか強い香りが苦手です。ですから、門徒さんの家などの法要の場で、たくさんのお線香に火を点けられたり、たくさんのお焼香をされたりする方がおられると、その香りが体中に残ってしまい、嫌な思いをします。そのような時、思わず「一体、お線香を焚く意味とは、お焼香の意味とは何なのか」と考えてしまします。

そのようなことを考えながら、香りを消すために家に帰ってきてから顔を洗っていた時です。「本当にしつこいなぁ」と思わずため息が出た時、気づかされました。実はこの香りには大切な意味があることを。

最初、お線香・お香は形がありそれが燃えて煙が出ます。ここまでは、われわれの目で見ることができます。香りには形がありませんが、しかし我々は、その香りからお線香・お香を思い浮かべるという意味においては、先に亡くなっていかれた人に対しても全く同じではないでしょうか。

先に亡くなっていかれた人に対する思いはいろいろあるでしょうが、一番大切なことは「念仏の教えに導かれ、人生を全うされた」ということではないでしょうか。だからこそ、真宗の儀式に則ったお葬式をし、それに伴い法事を勤めさせていただくのではないでしょうか。そのことを改めて確認させていただくことが、法事においても大切なことではないのでしょうか。

ですから、お焼香の時、合掌していただくのは、香りを通して、念仏の教えに導かれ、人生を全うされたその人の生き方を深々といただくことではないかと思います。金子大栄先生の「花びらは散っても花は散らない、人は去っても面影は去らない」という言葉が静かに胸に響いて参ります。

018満之に聞く

伊藤英信

今月は清澤満之先生についてお話をすすめております。

そろそろ夏の虫の声が聞こえてまいります。蝉やキリギリスの声は、時に心を癒してくれます。また時には、「よく聞こえますか」と私の耳の働きを確かめてくれているようです。梅雨は大地を潤し、さまざまな生命の糧を育んでくれます。空気も日光も、木々の緑も、そして虫の音色までもが、私の存在にとって何一つ欠かせないものであることを、つい忘れてしまいがちです。

自然をも支配下に治めたような錯覚に陥って生きている現代人に対して、清澤満之先生は、自分がこの世に存在する根拠を「絶対無限の妙用(みょうゆう)」「一大不可思議の妙用」「他力の妙用」と表現せられました。自分の思いや計らいに先立って、さまざまな人々や物との深い結びつきのまっただ中に、自分を生かしてくださるはたらきを「妙用」といわれるのです。

「絶対無限の妙用」とは、無量寿、無量光たる阿弥陀仏のはたらきであります。私たちは、清澤満之先生のお言葉を通して、日々の生活が何を拠り所として生きているのか、まさに自己の立脚地を問われているのであります。

NHKテレビに「不思議大自然」という番組があります。さまざまな地球上の動物の不思議な生態をとり上げ、それを知識として理解しようとするのでしょうが、不思議とは本来、人間の思慮や分別が至らない働きであり、私もまたその妙用に生かされていることを決して忘れてはならないと、先生は私たちに問いかけていてくださるのです。

017精神生活の回復

渡邊浩昌

「東洋の人は、すべて何事を考えるにしても、生活そのものから離れぬようにしている。生活そのものに役立たぬ物事には、大した関心を持たぬのである」と鈴木大拙氏は語っていますが、その「生活」というのは「物質的生活」ではなく、いわば「精神生活」のことで、その精神生活に役立つものを東洋人は大切にするということです。

例えば、「床の間にかけるものも、ただ美的鑑賞のためでなく、何か有限以上のものを見たいという要求から来ている。だからその為にも香を焚いたり、心を静めたりして敬虔な態度をとるのである」と言っています。それはお茶をたてることでも、お花を立てることでも同じで、あらゆる日常の生活の場でそのことを確保しようとしてきたということでしょう。

しかし、近代に入り、怒涛の如く押し寄せて来る西洋文明の波の中で、そのような精神生活の場が失われていきました。そのただ中にあって、清澤満之先生は精神生活の回復を叫ばれました。そして先生はその根拠を仏教に、更に親鸞聖人の教えに求められました。それは又、中世に於ける共同体への埋没から解放された個の回復でもあり、近代に於ける「自我意識」からの解放でもありました。そのことは「自己とは何ぞや」の一点に凝縮されていると思われます。

現代人は、「豊かさの源泉に注意を払わない」「権利だけあると考え義務を考えない」「際限のない要求を社会につきつける」という、三点の特性を持った人間になってしまっていると言われます。このような現代にあって、単なる自己反省でない、教法、道理に基づく自己省察のみが現代の危機を乗り越える道ではないかと思われます。清澤先生はそれを「内観主義」と名づけられ、又「精神主義」とも名づけられたのであります。

016自己を弁護せざる人

王來王家眞也

1903年6月、41才で世を去られた清澤満之師、ちょうど百年後の今、私が師にふれることができましたのは、師の面受の御弟子であります曽我量深先生によってであります。
先生は師の七回忌に際し、次のように述べておられます。

今やわが清澤先生の御前に「自己を弁護せざる人」となる称号を捧げんと欲する。この称号を想う時、われは忽ち六百年前の人とならねばならぬ。わが知れる所を以てすれば、親鸞聖人は自己を弁護せざる最大の人である。

これによって、清澤満之師こそ親鸞聖人の開顕された仏道、浄土真宗を生きられた方であることを知ることができます。

私共が仏道を習い学ぼうとする動機は、「自己と何ぞや。これ人生の根本問題なり」という清澤満之師のお言葉が出発点となりますが、その仏道を師は、「絶対他力の大道」と名づけられた文章として残しておられます。

私どもは他と代用不可能な生命、境遇を与えられており、その唯一の自己は弁護する必要のない世界が与えられていることを、師は百年を経た私をして知らしめ、それは、また、七百年以上前の親鸞聖人であったのだと教えられていることに深い感慨を覚えるのであります。