016自己を弁護せざる人

王來王家眞也

1903年6月、41才で世を去られた清澤満之師、ちょうど百年後の今、私が師にふれることができましたのは、師の面受の御弟子であります曽我量深先生によってであります。
先生は師の七回忌に際し、次のように述べておられます。

今やわが清澤先生の御前に「自己を弁護せざる人」となる称号を捧げんと欲する。この称号を想う時、われは忽ち六百年前の人とならねばならぬ。わが知れる所を以てすれば、親鸞聖人は自己を弁護せざる最大の人である。

これによって、清澤満之師こそ親鸞聖人の開顕された仏道、浄土真宗を生きられた方であることを知ることができます。

私共が仏道を習い学ぼうとする動機は、「自己と何ぞや。これ人生の根本問題なり」という清澤満之師のお言葉が出発点となりますが、その仏道を師は、「絶対他力の大道」と名づけられた文章として残しておられます。

私どもは他と代用不可能な生命、境遇を与えられており、その唯一の自己は弁護する必要のない世界が与えられていることを、師は百年を経た私をして知らしめ、それは、また、七百年以上前の親鸞聖人であったのだと教えられていることに深い感慨を覚えるのであります。