034風風ふくな しゃぼん玉とばそ

桑原範昭

8カ月になる孫とキーライトというオルガンのような楽器でよく遊ぶ。色々な曲が入力されていて、ライトの点くキーを押すだけで曲の弾けない私でもさまになるから不思議である。孫も分かっているのか分かっていないのか、勢いよくキーを押しては無邪気にはしゃぎ喜ぶ。日がら、眠ったり笑ったり泣いたり、喜び悲しみを全身で表す、いのちそのものが躍動しているように見える。

臨床心理学者の河合隼雄さんが「心の自然破壊」ということを言っている。人が死ねば悲しい、人を傷つけると自分の心が病む、そんな心の自然のはたらきが働かなくなった。人間の心を流れている川の水が枯れたり、流れなくなっているのではないか、というのだ。心の自然破壊は、自然界の破壊を招き同時に公害という人間への報復を生んだ。またそれは、多発する犯罪という形でも表れている。

例えば、3才の女の子を餓死させた事件があった。この飽食日本での出来事だ。21才のその子の両親が逮捕された。

中国の孟子は言う「人にはだれにも忍びざるの心あり」と、それは他人の不幸を見過すごすことのできない心を言う。一言で言えば、いのちに対する畏敬の心であろう。人間であるならばこの心が必ずある、というのである。

大正期に作られた童謡「しゃぼん玉」を思い出す。3才の愛娘を失った野口雨情の愛惜の詩に、中山晋平がメロディーをつけたものだ。「しゃぼん玉とんだ 屋根までとんだ 屋根までとんで 壊れて消えた」空の青さとまわりの景色を映して舞い上がっていくしゃぼん玉が目に浮かぶ。しかし、その明るい感じが二番の歌詞からがらりと変わる。「しゃぼん玉消えた とばずに消えた 生まれてすぐに 壊れて消えた」しゃぼん玉とはいのちのことを言うのであろう。当時、貧しさのためにまだ地方に間引きの風習が残っていたと言われる。その詩には、無心にしゃぼん玉をとばす子を見て、その子の健やかな成長を願う親の心と、幼くして亡くなっていったいのちへの悲しみが込められているのであろう。「子どもの魂よ、天へまっすぐ昇って幸せになってね」と。「風風ふくな しゃぼん玉とばそ」