026彼岸を願う

水野朋人

この二十日から彼岸の入りです。「彼岸」とは此の岸から彼の岸にわたる、迷いの世界より覚りの世界にわたるということです。

お盆が過ぎてお彼岸を迎えますが、そのお盆にテレビを見ておりましたら、毎年の光景ですが都心より生まれ故郷に帰る帰省の状況を放映していました。

お盆の仕事休みに車の渋滞に巻き込まれ、電車の混雑の中、手土産と荷物を持ち、疲れをなお重ねることが分かっていても毎年帰省される。そこまでして生まれ故郷に帰らなければならないかとすら思える。

毎年かえって疲れることは分かりながらも、なお生まれ故郷に足を運ぶのは何故でしょうか。帰りたいと思わしめるものは何でしょうか。単に時間的なゆとりに因るものではないでしょう。

おそらく生まれ故郷の「懐かしさ」「賑やかさ」を求めて生まれ故郷に帰られるのではないでしょうか。それはこの現実世界の日々の生活がいかに空しく、孤独であるかを物語るものであり、その現実の生活から安心感をたとえ束の間でも獲たいとの願いが故郷に足を運ばせるのではないでしょうか。如何に私たちが安心して生活できる世界を求め、願っているかを現すものではないでしょうか。

仏教ではこの安心して生活できる世界を彼岸といい、空しく孤独の世界を此岸と言われるのでしょう。

帰去来(いざいなん)、他郷(たきょう)には停(とど)まるべからず。仏に従いて、本家に帰せよ。‥‥釈迦仏の開悟(かいご)に因らずは、弥陀の名願いずれの時にか聞かん。(真宗聖典355頁『法事讃』)

と善導大師は言われます。彼岸の世界は現実の世界を離れて何処かにある世界ではなく、むしろ日々の生活の空しさ、孤独から開放してくれる世界ではないでしょうか。先延ばしすることなく、空しさ、孤独の世界から開放される世界を浄土真宗の教えにより確かめつつ歩むべき彼岸の入りの時節です。