018わがみのわろき事は、おぼえざるものなり

藤井恵麿

私は、4年ほど前から出身校の三重支部・同窓会事務をさせていただいております。と言いましても私一人でやっている訳ではありません。三重支部・同窓会運営の為の役員が約20名ほどおりますが、その一人として事務を担当させていただいております。
最初に、この仕事をやらせていただいて感じたことは「貧乏くじを引いてしまった」ということです。と言いますのは、その役員が中心となって、年1回の総会を開催する訳でありますが、その打ち合わせの為の役員会を開催してもなかなかご出席いただけず、半数以下での役員会ということもありました。また、総会の案内状の発送でありますが、本当にたいへんな仕事であります。一人でやれば、支部内の会員530余名の方に発送するのには、3日間ほどかかります。その発送については、今では役員の方に手伝っていただいておりますが、それでもやはりたいへんな仕事です。
さて次には、総会の出欠の返信でありますが、これがいつも真面に返ってきません。返ってくるのは毎年いつも100通ほどであります。後の400通ほどはゴミ箱行きかと思うと「あの発送の苦労は何だったのか」と怒りが込み上げてきます。そして総会の出席が毎年10名前後ともなれば、虚脱感で一杯になります。
そのような思いの中で、ある時、気づかされました。この仕事を担当するまでは、私は、この同窓会の総会に出席したことも無ければ、出欠の返事すらも出したことが無かったのであります。「自分が傷つくことに対しては敏感だけれども、相手を傷つけることには何て鈍感なんだろう」そしていつの間にか「自分が一番苦労している」とまで思い込んでしまっている傲慢(ごうまん)な自分…。
人のわろき事は、能(よ)く能く。みゆるなり。わがみのわろき事は、おぼえざるものなり。(真宗聖典890頁)
という蓮如上人のお言葉が静かに胸に響いてきます。