014和国

王來王家眞也

親鸞聖人は「この和国に仏教のともしびをつたえまします」人として、聖徳太子を讃えて、

和国(わこく)の教主聖徳皇(きょうしゅしょうとくおう)

広大恩徳(おんどく)謝(しゃ)しがたし

一心に帰命(きみょう)したてまつり

奉讃(ほうさん)不退ならしめよ(真宗聖典508頁)

と和讃されました。親鸞聖人は太子の打ち立てられた国を「和国」と受容され、和国の教主として太子に深い恩徳を捧げられたのであります。太子は我国を「和国」たらしめる根拠を仏法によられたことは、十七条の憲法の第2条に「篤く三宝を敬え」と宣言されたことに顕されております。それは単なる政治の手段としての仏法でなく、自ら深く仏法に帰依されたことに基づくのであります。

その証しが第10条に、人間は「共に是れ凡夫(ただひと)ならくのみ」と示されております。人はいかなる環境にあっても、共に凡夫として存在することを立脚地として、自己の存在の使命と責任を太子は果たされました。その生涯は、正しく仏法を証しするものであり、仏法の証人であります。その証人の上に「和国」が成り立ち、永く我国の精神的支柱となりそれが我々の住むこの国の進むべき新しい未来への方向を教えているのであります。