003法事に思う

加藤 滿

私たちは先祖(先に亡くなった人)の法事をします。その時には、手次のお寺にお願いして、お経を上げてもらい、そして皆で会食をして3時間ぐらいをすごし、やれやれやっと終わった、大変だったとなります。いったい何のために法事をするのでしょうか。何かやらなければならないという義務のようになっています。

その法事は儀式として、まず親類が集まり、そこでお経が上がりますが、なぜお経を上げるのでしょうか。

お経の始まりは全て「仏説」で始まります。「仏説」というのは、仏(釈尊)が説かれたということであり、仏が説かれたものを、その場に参加しているものが「聞く」ということ。そのことが法事の大事なことであります。先に亡くなった人を通して仏説を聞き、そこから私たちが救われていく道を見いだすということです。

それでは、その仏説であるお経には何が説かれているのでしょうか。

蓮如上人の御文(五帖目九通)に、

一切の聖教というも、ただ「南無阿弥陀仏」の六字を、信ぜしめんがため

だと言われています。(真宗聖典837頁)さらにお経というものは、私たちに念仏を信ぜしめんがためにあるのだと。そして、その念仏を信ずるということは、私たちが平等に助かることであると言われています。

法事とは、仏説を聞き、そこに私たちが仏の教化-教えを受ける-に出遭うということをおいて他にに何もないということでしょう。